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まりりん
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カリフォルニア ロングビーチで暮らす老猫のスローな生活。
猫の話とは関係がないのですが今回から数回に分けて 戦争と日系人について書きたいと思います。 戦争についてあまり知らない現代人、まして海外に住んでいた 日本人が戦時中どんな生活をおくっておられたか知らない方も 多いと思います。 まりりんのブログを通して一人でも多くの方に当時のことを 知って頂ければと思い いつか書こうと思ってた内容です。 今から100年以上前、貧しかった日本人が 富を求めブラジル、アメリカ、ハワイに移民しました。 ブラジルではコーヒー農園、ハワイではパイナップルや砂糖キビ畑 アメリカでは農家で勤勉で低賃金で働く日本人は重宝されました。 私の住んでいるロングビーチの西側の港、サンペドロのターミナルアイランド という所にも1900年初頭から日本人移民の漁師が住み始め その殆どが和歌山県出身、次いで静岡、三重県の出身者でした。 ↑写真の奥のほうに見える所がターミナルアイランド周辺です。 島の産業は漁業と海鮮缶詰業で日本人女性は缶詰工場に従事し 最盛時には3000人以上の日本人が暮らしていた その島には神社や日本人向けの小学校もあり日本の文化を 色濃く引き継いでいました。 ↑ 日系人の野球チーム。 ↑ 子供に着物を買って上げられるなんて 漁師さんのサラリーは高額だったのが分かりますね。 当時の平均月給が75ドルに対し漁師さんは1000ドル! そんな平和な中、1941年 日本軍の真珠湾攻撃によって多くの 1世の男性たちはスパイ容疑をかけられFBIに連行され 1942年には48時間以内に島民全員が島を立ち退く様に命じられる羽目に。。。 ↑強制立ち退き前の島の住民。記念写真。 その後、西海岸地区、ハワイに住む12万人の日系人は 全米にある10箇所の収容所へ強制収容されました。 収容所の殆どは砂漠にあり夏場は熱波で沢山の方が倒れるという 過酷な環境。 ハワイ風のまりりん。 「アロハにゃ〜ん」 日系人と戦争のお話は長いのでまた次回に続きます。 あと、ピーちゃんのスライドショーを作りました! とっても可愛いので見てね!(早送りにしないでゆっくりと)
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